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『こうでなければならない』と『こうでありたい』の違い

Ayuko

昨日から


不登校だった娘が


自分から起きて朝食をとって

身支度を整えて

時間をみて

自主的に学校へ行き始めました


当たり前のことなのですが


この当たり前の事は

今のこれまで

この約2か月の間の期間を思うと


当たり前でなく

奇跡的な事なのです


長女は

小学校の6年間

最後の6年の時に人間関係で苦しみ

6年後半は遅刻の日々で

クラスにも入れなくなっていました


それが

中学の入学式を無事に終え

3日間普通に登校し


これで安心とおもっていた矢先に

急に

行かなくなりました


娘は

小学校の6年の後半は遅刻はしても

欠席はしたことがなく

とりあえず

6年間皆勤賞でした


学校が大好きで

行事にも率先して取り組み

運動会では応援団

クラス委員長にもなったこともあります


そんな娘の

初めての欠席に

私は

心が砕けました


中学に入り

これからたくさん楽しいことがいっぱいある


行けば楽しいよ

新しいお友達もいるから平気だよ

楽しい事いっぱいあるよ

好きな子にも会えるよ


色々あの手この手で

話してみても


もう学校は行かない!

とうとう

こんな言葉も言った娘でした


布団をかぶって

昼まで寝ている・・

まるで何も考えていない様に

眠り続ける娘



学校からは

毎日連絡くださり

とっても熱心で優しい思いやりある先生


可愛くて

綺麗で

カッコいい先生

娘は担任の先生に入学式に出逢って

すぐに気に入りました


私も

とても安心して

心を尽くしてくださることに

感謝の気持ちでいっぱいでした


しかし

その大好きな先生の心づくしも

この様な状況に際しては

私のプレッシャーになったのです


行くいかないが

母親の接し方にかかっている・・・と

自分でそう思い込んでいたのです


ですから

先生の誠意に応えなければ・・・という

プレッシャーで

我が子を登校させなければ・・という思いが

自分を追い込んでいきました


それと同時に

娘も

追い込まれていたと思います


本心は行きたくないのに

先生には明日行く・・と言い

朝になると

やっぱり行けない・・

約束したのに行けなかった・・・


朝泣いていることもありました


先生の良かれと思ってされることも

時には

悪循環になることもあります



私は

期待に応えようとする娘と

学校に行くこと来てくれることが

生徒にとって良い事と思っている先生

少しでも生徒の力になりたいと思ってくださっていたでしょう


そして

母親私の

娘の人生の幸せとして

一つの道筋を作っていた

こうであることが幸せ

こうでなければならない

こうすることが当たり前

学校に行くことは当たり前

行けば楽しい事がある

学校でたくさんの学びがある

とりあえず学校にいっていれば

道は開ける

学校の学びが無いと今後の人生は困ることになる・・



こんなことを

なんとなくぼんやりと思っていたんですね


ぼんやりとは語弊があるかもしれませんが

そういうことは

当たり前の様に生きてきた私にとって

何よりも

娘が不登校ということが

私にとってのあってはならないこと


・・・そうだったように思います

いい具合に石頭だったのですね(笑)



しかし

この先生と娘の状態との板挟みで


私は

もう耐えられなくなったのです


ある意味

古い自分の考えや価値観

思い込みがぶっ壊れた感じ・・



行きたくない娘

どうにか来てほしいと思っている先生

出来れば行って欲しいと思っている私


どうしたって

本人の意思が大切なんです


本人が行く気にならない以上

周りがどう動いても

無理なんです


その場限りの『明日は行く』は

何の意味もなく

本人に嘘をつかせ

自己否定に入ります


私は

もう

無理しなくていい

行かなくてもいいよと

言いました


それまでは

今日は行く?

明日行く?


朝だよ~

声をかけていましたが


それからは

おはよ~

だけは

とりあえず言葉がける様にして


あとは

何にも言いませんでした



起きてこれば

おはよ~


今日はママとお昼に外に食べに行こうか~


散歩行こうか~


お茶でもしようか~


とにかく

外に出して

気分転換して

景色を見て

話して


娘を隠すような事はしませんでした


行けなくていい

行かなくていい

行かなくても

外に出て好きな事していいんだよ


堂々と生きて

今の今を楽しもう


学校は行かなくても

結局は生きていける

自分がどうしたいかで

人生の進み方は自分で決められる


そういう力が

娘にはあるし

『こうしたい』という本人の意思が

一番大事


だって

それが人を動かす原動力だから


意思のない所に

行動は無い

ですよね



娘の原動力は

一か月後の体育祭


やっぱりそういう行事が好きな娘は

体育の時間をめがけて

昨日から登校し始めました


娘の中には

一か月後に体育祭に参加している自分を

思い描いたはずです

こうありたい自分



昨日から

いきなり

行ってくる・・・と


朝普通に起きて

着替えて

身支度して


今日も行きましたが


でも今日もお昼に帰ってきました(笑)


それでいい

自分の意志で行動出来て

えらい!



社会のこうでなければならない・・・は

私たちの個人の人生に

全く関係ないと言えます


その人の人生は

その人がどうあることが幸せなのか

それは

その本人にしか分からないし

その幸せは本人が納得してこそ

意味があるのだから



私は

親になって娘に

何を望むのか・・


それを本当に考えさせられた

娘の不登校


私は

娘が

元気でそこにいてくれること


自分の思いで

情熱ある方向へ

進んでいってもらいたい


その

熱があるということは

なんて幸せなことなのでしょうね



ただ眠っているむすめを見ていて

そう思ったのです


眠ることも必要だけれど

生きる熱量は


生きるそのものです


どんな形であれ

娘が楽しんで工夫して思考して

自分の足で歩んでほしい

そう願う

母の私でした


Ayuko


















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